入院森田療法の体験談

【患者さんの声】 社交不安症Aさん 20代 男性

○月○日、僕は森田療法センターに入院した。昔元気だった頃の自分に戻りたい、今の苦しい状況からなんとか抜け出したい、という気持ちで病院を探した結果、こちらの森田療法センターを見つけ入院を決意した。
お昼頃母と一緒に病院に着き、心理テスト等を済ませた後臥褥が始まった。一日目はあっという間に夜になり、消灯時間の23時頃には眠りにつけたのを覚えている。だが二日目、三日目になると、色々な事を不安に感じて、ここで退院まで生活できるのかと考えていたりした。六日目、七日目になると不安はありながらも、早く外に出たいという気持ちがすごく強くなっていった。最終日に浴びたお風呂は本当に気持ちよかった。
そしていよいよ臥褥が明け、軽作業期一日目がやってきた。朝食の時は臥褥が明けてハイになっていたのか、不思議と緊張しなかった。しかし、お昼頃になると周りが段々と見えてきて、緊張と不安が次第に押し寄せてきた。夜のミーティングで最初の挨拶を済ませ、一日はあっという間に過ぎていった。
三日目からは作業の見学は終わり、板の木彫りが始まった。いざ作業に入ると、一人で行う作業ということもあり、割と集中して行うことができた。希望も気からという意味を込めて、「気望」という字を彫った。軽作業期最終日には木彫りを終え、たたらや書道を楽しく行うことができた。
軽作業期を終えると、いよいよ作業期に突入した。最初は見習いという立場から始まり、共同、植物、動物それぞれ先輩達に教わりながら作業を行った。最初の頃は、トイレ掃除、お風呂掃除、鳩舎清掃等苦手な作業が多かったのを覚えている。何より教えてくださる方の顔色をうかがうばかりで、作業内容が中々頭に入ってこなかったり、自分が不快に思わせているのではないかと考えて、作業にあまり集中できなかったりした。その中でも、植物作業には楽しさを見出せそうな気がした。
見習い期間を終えると、次の日入る作業は自分で決め、当番も自分一人に任されるようになった。当番の犬の散歩が苦手で、コースを中々覚えられなかったため、先輩に付いて来てもらったりしていた。その頃は、デイルームにいるのが苦痛だったので、自分の部屋で本を読んで過ごした。
作業期に入り少し慣れていた頃に、植物係に任命された。植物係の先輩達が夜によく話し合いをしていたのは知っていたので、そこに上手く自分が溶け込んでいけるかとても不安だった。案の定自分の中ではコミュニケーションが上手く取れず、先輩達の行動や言動が一々気に触るようになってしまい、デイルームにいる時は常にイライラしてしまうようになっていた。
イラスト作業期に入り一ヶ月程経った頃、デイルームで消灯時間まで他の患者さんと話す機会があり、それがきっかけでデイルームにもう少しいてみようと思えるようになった。そして自分から先輩方とコミュニケーションを取るようになると、自然とイライラは収まっていった。
そんなこんなで過ごしていると、自分にも後輩患者ができ、今度は共同責任者を任された。もう一人の共同責任者の方が植物係の方だったので、上手くコミュニケーションを取りながら頑張っていたのだが、自分の体調管理が甘かったせいもありインフルエンザになってしまった。そこで一度森田の生活に対する集中が切れてしまい、すぐに外泊に出てリセットしようとしたのだが、最終日病院に戻るのが嫌になってしまい、一日戻る日を延期した。戻ってからはなんとか持ちこたえ、また森田の生活に専念することができた。
戻ってから少しした後に、行事委員を任された。その時共同責任者も請け負っていたので、最初はやり切れるか不安だったが、皆さんと力も借りて、なんとか最後までやりとげることができた。
行事を終えた後は後輩患者も増え、教えていく立場になり、最初はきちんと教えられるか不安だったりしたが、段々と教えることにも慣れ、どんどん生活が充実していった。
最初は不安でイライラすること等も多かったが、どんどん色々なことが楽しくなっていき、こちらに入院して良かったなと今では思えるようになった。
これからの生活に不安はもちろんあるが、ここで学んだことを活かし、全力で頑張っていきたい。
お世話になった先生方、看護師の皆さんならびに色々と支えて下さったたくさんの方々本当にありがとうございました。

 

【患者さんの声】 強迫症Bさん 50代 男性

私がここ森田に入院したのは〇月〇日です。その時点では、“私は入院するべき”といった考えだけでそんなに病気の事とか、入院の事とかをただ漠然と思っていたのかもしれません。通院より入院がいいとか、早く治るのじゃないかとか、悪く言えば病院にお任せすればいいという考えだったかもしれません。逆に言えば、そこまで気持ちが落ちていたのかもしれません。

入院してすぐに臥褥に入りました。
自分から情報とかもろもろ剥がれて、7日間も何もしないで過ごすのは初めての事でした。最初は眠るだけで退屈でしたが暗い部屋で上を見ているといろいろな事を考えるようになりました。
「なんで入院したのか?」とか「なんでこんな病気になったのだろう?」とか、いろいろ掘り下げて考えるようになりました。
臥褥の日がたつにつれて、考える事に集中するようになりました。もっと考えてみよう、さらに考えてみようといった感じになります。
とことん自分の病気、過去の病気に対しての向き合い方、なんでここまでになったのかとか考えてみました。
考える事、「自分に向き合う事」が楽しく考えられるようになりました。こんなに真剣に一つのことを数日集中して考えたのは今までにないかもしれません。もっと臥褥を続けてみたいという気にさえなりました。

私が臥褥中、自分に向き合って出したもの、それは「自分には病気と向き合う覚悟が足りない」という事です。
いくらいい病院のアドバイスをうけても、自分にある程度覚悟がないと、この病気を治す事は前に進まないという事。ただでさえ後にもどるのに、「前を向く」という事はむずかしいという事です。
「覚悟」=今の自分にはこの入院であり、これからの入院生活への向かい方でもあり、さらには退院してからの生活+病気で「前を向く」という事がわかりました。
そんな感じで覚悟が決まると、ちょっと楽になり、ちょっと「パッと晴れた」感じになりました。

入院生活は、とことんアクティブでクリエイティブに向き合おうと思いました。それはクリエイティブな考えで作業、生活に向き合わないと自分にとって楽しくないからです。自分にとって「前を向く」という事は、「楽しむ」という事です。

イラストこの入院生活でいろいろな事をやる事が出来たと思います。
共同、植物、動物、一通り作業を自分なりに、出来たと思います。動物・植物では初めてな物もあり、特に鳩に関しては放鳩訓練や放鳩ピクニック等、動物係としても参加できた事は、自分にとってもいい経験になったと思います。犬にしろ鳩にしろ生き物は、自分どおりにはならないところが、あらためて新鮮でいいなと思いました。

あとは、自分だから思いつく事、できる事を楽しんでやろうと思いました。
森田療法センターのベランダをテラスにする事、秋のいい季節、外でゆっくりお茶が出来るスペースを作る事、そしてシューズボックスをキレイにリニューアルした事です。
メンバーも同じ意見で良かったです。
動物係としても、ベン・マロのサークルのリニューアル、しつけ、ストレス解消方法の再確認をメンバー全員で考える事が出来ました。放鳩訓練用の鳩を入れるボックスも作りました。自分は物作りが好きなので、これらの事で自分の力を使えた事は良かったです。
物作りにともない、工具のメンテナンスもしました。サビている工具をリフレッシュすることも、気持ちがいいですね。

私と同じ時期にいたメンバーは、行動力もあり、考える方を楽しみ、コミュニケーションもしっかりでき、人数が少ないながらもしっかり作業が出来たメンバーです。
このメンバーがいる時期に入院できた事、とても良かったし、ラッキーだと思っています。

全体を通して、2ヶ月ですが、自分なりに楽しめ、前に進む事が出来た入院生活でした。

「入院する事」「森田療法にした方」今思ってみても、良かったと思っています。
これからも、「覚悟」「楽しむ」「前を向く(進む)」で退院した先も進んで行きたいと思っています。
「ありがとうございました」

 

【患者さんの声】 強迫症Cさん 20代後半 女性

イラスト大学を卒業した私は、事務職の会社員として勤務していました。その頃はとくに問題なく毎日を楽しく過ごしていました。

20代後半に結婚を機に退職。結婚してしばらく経つと、次第にさまざまなものが不潔に感じられるようになり、何回も手を洗わずにいられなっていきました。入浴にも数時間がかかり、石鹸が数日でなくなってしまうという状態です。

そこで、近くの病院に足を運び、処方された薬を服用し始めると、多少手洗い行為が少なくなったので、改善に期待しました。しかしその後、大きな改善は感じられませんでした。

そんなとき、森田療法センターを知り、相談した結果、薬物療法を併用した形の入院療法を開始することにしました。

入院後は、動物の世話をすることになりました。でも始めは嫌々作業をしていました。「便が汚い」と感じられ、動物の世話をすることに躊躇していたことが原因です。

大きな転機は、病気の動物を世話したことです。このことをきっかけに「動物たちの命が大切」と感じられるようになりました。次第に作業も積極的に行うことができるようになり、うまく世話ができるようになりました。積極的になったことで、作業自体を楽しく感じられるようになったのです。

入浴時間については、一時間以内に切り上げるように努めました。いまだに、手洗いは人よりもやや多いですが、日常生活に支障がない程度まで回復しています。不潔への意識も徐々に薄れてきています。

入院治療は、約3ヵ月でした。
以前のような生活が送れるよう、前向きに物事を捉えながら、「あるがまま」を受け入れていきたいと思っています。

 

【患者さんの声】 パニック症Dさん 20代 女性 会社員

イラスト私は、割とキャリアウーマンといった感じで、仕事も人一倍頑張っていました。余暇も習い事に通ったり、友達とショッピングに出かけたりと忙しい毎日。とても充実した日々を送っていました。

そんなある朝、通勤で乗った満員電車が停止信号で一時停車したとき、突然動悸が。息苦しくて、汗をかき、めまいがしました。ついには、床にうずくまってしまいました。

結局、その日は会社を早退。病院で診察を受けることにしました。病院では、「身体には異常がない」という診断だったので、一旦は安堵しましたが、漠然と不安な気持ちは拭えずにいました。

その一週間後の夜、今度は自宅で布団に入って間もなく、同じような動悸に襲われたのです。「このまま死んでしまうのではないか?」という恐怖を感じました。

同じような症状が出たらどうしよう・・・と考えると、不安で、怖くて。ついには、誰か一緒でないと外出することもできなくなり、3ヵ月後には仕事を辞めざるを得えなくなりました。家の近くの心療内科のクリニックに通うことにしましたが、半年ほど経っても一向に外出できるようにならない状態でした。診療も薬もあまり効果を感じることはできません。

そこで、自分でインターネットで調べて、森田療法センターを知り、受診してみることにしました。
診察の結果、入院治療を進められました。家族と離れての生活はとても不安に感じたのを覚えています。
でも、「また友達と出歩きたい」「仕事をしたい」という思いで頑張ることを決心し、入院に踏み切りました。

第Ⅰ期 臥褥期、第Ⅱ期 軽作業期を経て、第Ⅲ期 作業期に入ったばかりの頃は、与えられた作業に真面目に取り組みながらも、症状が出てくることを恐れ、暑い夏の外での作業を避けていました。

そんなある日、病棟で飼っている犬が食事を吐いてしましたのです。
私もスタッフもとても驚きました。どうしたものかと考えていましたが、医師やスタッフの後押しもあり、私一人で翌日、動物病院に連れて行くことになりました。動物病院に行くには、電車に乗らなくてはいけません。一人で電車に乗る・・・前夜は不安で堪りませんでした。看護師にも不安を訴えました。

イラストそんな中、当日の朝が訪れてしまいした。不安で一杯でしたが、看護師に背中を押され、勇気を出し、力を振り絞り、出かけることにしました。

結局、一人で電車に乗れることもでき、犬の診察も済ますことができました。無事に病院へ帰ったときには誇らしい気持ちが湧いてきました。それからは、自信も出てきて、戸外での作業にも自ら取り組めるようになったのです。

振り返ると「症状にも原因があったけれど、それ以上に自分で行動を制限していたところがあった。今はやりたいことがやれて楽しい」、そんな前向きな気持ちで、不安に圧倒されがちだった自分と向き合うことができました。

 

【患者さんの声】 身体症状症Eさん 20代 女性

入院を振り返って

主治医の先生に最初に入院を勧められたのは大学に入学する前だった。それを断ってなんとか頑張ってきたつもりだが、体調を崩して自分の力で再び歩き出すのが難しくなった時、やっと入院を考えるようになった。何から手をつけていいか分からず、とりあえずやってみるか、という気持ちの一方、まだ入院を嫌がる自分がいたことも確かだが、なるべく嫌なことを避けてきた私が一種の荒療治として入院を決意できたのは、大きな一歩だったと思う。

まず、1か月お試しのつもりで、と言われ、自分でもあまり不安になりすぎないように心がけて入院前の1か月を過ごし、入院当日は実感が湧かないまま病院に来た。森田での治療の流れは本を読んだり、HPで見たりしていたが、実際に具体的な説明を受けると先が長く感じた。

イラスト 1週間の臥褥期は思い返すとほとんど寝ていたように思う。家ではほとんど昼夜逆転の生活であったため、夜寝られない心配もあったが、拍子抜けする程寝つきは良かった。3日目くらいから朝の検温の時間までに目が覚めるようになり、1日を長く感じた。何もしないでいると、大小様々な思い出や過去が思い浮かび、あの時はああしたけど、今の自分ならこうするのにな、とぼんやり振り返っていた。私にとって臥褥期で一番つらかったのはホームシックだった。大学で寮生活をしていたにも関わらず、こんな気持ちになるのは意外だったが、思ったことを共有したり、すぐに話せる環境ではないのはかなりダメージのようだった。しかし、1週間入浴できなかったのは災害時のいいイメトレとして受け入れられたし、ずっと横になっていたおかげで何でもいいから何かしたいという気持ちになれたので、大変ではあったがいい経験となった。

臥褥期が明けると軽作業期で、ここでの生活に馴染めるか不安ではあったが、まずは色々助けてもらいながら慣れていこうと思えた。見学をしながら徐々に作業に混ざっていく中で、今までの自分なら新しい環境に尻込みしたり、早く覚えて失敗しないようにするためにたくさんメモをとっていただろうが、積極的に質問したり、やってみようと思えたり、頭ではなく体で覚えようとしたり、といったことができる自分に気付けたのは、大きな収穫だった。また、患者の皆さんや看護師さん、先生方が優しく気を遣ってくださったり、馴染めるように話しかけて下さったので、ここでの生活が楽しくなってきた時期でもあった。

イラスト軽作業期も順調に過ぎ、いよいよ作業期に入って、いい意味でドキドキしていた。1日1日があっという間で、作業を覚えるに従ってできることが増えていくことに喜びを感じていた。時々、ふと憂うつな気分に襲われたり、体調がなんとなく良くない日があったりしたが、目の前のやらなければならないことにうまく集中できた。また、こういうことができる機会はほぼないのだから、より大切に過ごしていこうとも思えた。作業に慣れてきたと思っても、イレギュラーが発生したり、人数が少なくて一人一人の負担が増えたりしたこともあって、いらいらやキャパオーバーでしんどくなることもあった。それでもそこから逃げ出さずに頑張れたことは自信に繋がった。反対に「やるならとことん」や「悪い意味での完璧主義」といった自分の良くない部分も出て、自分にできることを人に求めてしまったり、人にできることが自分にはできずに自己嫌悪する、といったこともあり、反省も多かった。

森田療法の中で一番感銘を受けたのは「まずやってみる」ということだ。何かをする時、自分の体調や考えで全部止めてしまうのではなく、その状態で構わないからとにかく「やってみる」怖いから、体調が悪いから、で歩みを止めてしまうと、余計にその負の状態は大きくなってしまう。だったら、怖くてもしんどくてもいいから動きを止めないこと、という考え方は私に合っていたようで、自分が立ち止まってしまったところからは一歩大きく踏み出せたように感じる。この入院が終わったからめでたし、ではなく、一歩踏み出して再びスタートがきれた状態なので、森田療法で得た考え方、出会った人達、自分がした経験をいかにこれからの生活に活かせるか、自分にできることを模索していきたいと思う。そしてお世話になった患者の皆さん、看護師さん、先生方をはじめ、支えてくださった方へのたくさんの感謝を忘れないようにこれからの自分の人生を歩んでいきたいと思った。

 

【患者さんの声】 身体症状症Fさん 10代後半 男性

中学生のとき、頭痛・吐き気などに悩まされて、学校を休むようになりました。

近所のクリニックで自律神経失調症という診断を受け、薬物療法を受けたのですが、一向に症状は良くなりません。生活を立て直したいと思い、森田療法センターで入院治療を受けることにしました。

入院した当初は、与えられた作業にしっかり参加していました。
ところが時折、頭痛・吐き気の症状が強くなることがあり、頻繁に作業を休む日が出てきました。
先生との診察の中で徐々に、対人関係のストレスが加わると症状が出ることが分ってきました。私はこれまで、精神的な状態とは関係がないと思っていましたが、入院生活を通して、次第にストレスが加わった時に症状が強く現れることが明らかになったのです。

原因が判明できたことで、症状とも少しずつ向き合い、付き合い方が分かるようになりました。また、症状があっても、そのまま作業に打ち込んでいるうちに、気分が優れ、症状が変化していく事に気づきました。

いまでは、症状が出てたときも、すぐに行動を立て直す習慣を身に付けました。

症状が改善して、病棟で行なわれた行事の企画・実行も成し遂げることができたことは自信にもつながりました。行事も盛り上がり、他のメンバーからも「良い行事だった」と言われたことが、嬉しかったです。達成感がとてもありました。

いまでもストレスが高まると症状は出るものの、すぐに立て直すことができます。専門学校にも通えるようになりました。

 

【患者さんの声】 うつ病Gさん 50代 女性

森田療法を受けて

私は今改めてこの年齢になって慈恵医大で森田療法を受けられたことを、とても幸運だったとしみじみ感じています。

ここでの入院生活を続ける中で、うまく言葉に出来ませんが、自分自身に息を吹き込み鮮やかな感覚を取り戻し、まるで蘇ったかのようにさえ思えます。

私のうつ病歴は27年にも及びました。結婚5年目でやっと恵まれた子どもの産褥期から始まりました。日常の生活が夢の中で見ているような現実感のないものに感じられ、頭がボンヤリとして考えがまとまらない、体に鉛が入ったように重くて動きが辛い、「頑張らないと!頑張らないと!!」と自らの気持ちを持ち上げ、家事と育児をやっとの思いでこなす日が続き、ある朝、突然起き上がれなくなりました。近くの大学病院でいくつかの科の診察を受けた後、精神科で「大うつ病」と診断を受けました。当時のうつ病の治療は①処方された薬をきちんと飲むこと、②体調が悪い時は十分に休養すること、③薬を長く飲み続けることで病相が抑えられる、ということで、私はよくなりたい一心で真面目に治療を受けてきましたが、それでも1年の1/4ほどうつ症状が出て、日常生活が困難になることに疲れ果て、医療が信じられなくなり、民間療法の数々を試し、2年前に断薬に辿り着いたものの、この間の体調の悪さが「もう一度きちんとした診断を受けて、薬物療法だけに頼らない治療を受けよう」という冷静な判断を導いてくれ、慈恵医大で森田療法を受けようと迷わず思いました。

臥褥に入り、周りのことを一切気にせず、横になって過ごせることに、まず安らぎを覚えました。初めて会った主治医から「反復性うつ病」の診断と「この病気は身体疾患により近い病態なので、薬は必要ですよ」と丁寧に説明を受け、まずは、この病気を受け入れようという決心がつきました。過去の治療の後悔ばかりが思われ、不安や焦りとザワザワした落ち着かない気持ちが続きましたが、4日目以降、自分の考えを変えていきたい!セカンドライフを豊かなものにする為に、うつ症状に左右されることのない生活を手に入れたい!という思いを新たにし、絶対できる!必ずできる!と強い意志を持って治療を受ける覚悟ができました。

ここでは色々な年代の患者さんたちと関りながら、今まで経験したことのない沢山の作業を経験しました。犬や鳩のお世話、沢山の植物の手入れ、食事のカート運び、作業の一つ一つが手順よく決められていて、はじめは緊張と驚きで集中できず、すぐに覚えられず、また慌ててしまってミスをして落ち込んだり、自信を失ったりする日々が続きました。そんな時はいつも先輩達が優しく対応してくれました。そんな自分をいつも責めている自分にも気が付きました。医師からは体で覚えていきましょう、とアドバイスをもらい、焦らず慌てず丁寧に作業に関わるようにしていきました。

作業にようやく慣れた頃から、自分のこだわりや、考え方の傾向、人との関わり方のクセに気が付くようになりました。不思議なことに、それらと同時に色々なことが問題となって私に降りかかってきました。今までだったらうまく逃げていたことに向き合わなければいけませんでした。その度に、人に自分の話をするのが苦手な私が医師にできるだけ伝える努力をしてアドバイスをもらい、実行するように頑張りました。

入院から3か月が過ぎた頃、私の中に仲間の姿から、その人なりの持ち味や魅力を感じられるようになり、ここでの生活で苦楽を共にした愛着が生まれていました。意見のすれ違いでギクシャクした以前とは違い、自分の思いを相手の考えを受け止めながら、ハッキリと伝えられるようになりました。

イラストその後、バラ栽培の専門家の先生の御来訪があり、園芸は神経質にならず、アバウトに取り組めばいいこと、バラの手入れは難しく考えることなく、花の生命力を感じて臆せずすること、剪定は全体像を見て、咲いた時のイメージをしてするように、とのメッセージが、森田療法を終える私へのタイムリーなプレゼントのように思え、植物係を経験できたことも全て貴重な体験となりました。

4か月近く外の情報から遮断された環境で、医師と看護師さんの支えを得て、自分自身にしっかりと向き合えた時間は、この年齢になった私に絶好のチャンスだったように思えます。うつ病を病み、思いがけない人生を生きていると辛かった時間が、私を強くし、そして優しく成長させてくれていたように感じます。これから、ここで経験したことを生かして、日常生活の再構築をしていきます。ここの治療で経験したことを全て自信に変えて、家庭も大切にし、穏やかに好きなことを楽しんでいきたいと思います。

 

【患者さんの声】 うつ病Hさん 40代男性 会社員

数年前、勤めていた会社で配置転換があり、業務内容が大きく変化しました。その負担からうつ状態になってしまい、会社を休むようになりました。

会社の近くの病院で受診し、薬物療法を行うことで、一時的に症状が改善し、復職を果たしましたが、心身の疲労から再び仕事を休むようになってしまいました。うつ状態から抜け出せず、症状が改善しないまま、このような生活が数年に渡って繰り返され、慢性的になってしまいました。

そんな折、森田療法センターを知り、受診し、自ら入院を希望しました。
入院してから、医師やスタッフと相談しながら、作業を行いました。作業を通して、医師から指摘されたのが、「一人ですべてをこなそうとする完全主義的なスタイル」でした。

自分自身では、気づいていなかった性質が明らかになることで、心身の疲労を大きくし、うつ状態を長引かせていた原因がはっきりしました。入院の後半では、医師と話し合い、色々な作業を通じて、疲労をため込まない作業・生活スタイルを意識しました。その結果、長いうつ状態から抜け出すことに成功でき、復職を果たしました。

原因が分からないと治療方法が見つかりません。入院をすることで、医師がしっかりと私を見つめ直してくれるので、長年続いたうつ状態が改善できたと思っています。