社交不安症(社交不安障害)

社交不安症(社交不安障害)

社交不安症(社交不安障害)とは

他者の注視を浴びる可能性のある社交場面に対する著しい恐怖または不安を指します。例えば、人前での会話や書字、プレゼンテーションや面談、会食場面において自分が恥ずかしい思いをするのではないかとひどく心配し、そういった場面において、顔のこわばりや緊張、震え、動悸、発汗、吐き気、赤面等が生じます。また重症なケースでは自分の赤面、視線、体臭が他者を不快にさせるのではないかという強い不安を感じる形を取ることがあります。不安が起こる場面を避けようとすることから、学業や社会生活に支障を生じたり、引きこもりがちになることもあります。日本で元々「対人恐怖症」とされていた病態にほぼ重なります。当初は日本に特有の病態と考えられていましたが、欧米にも同様に存在することがわかってきています。

社交不安症(社交不安障害)の森田療法的な理解

社交不安症(社交不安障害)は森田療法が当初から治療対象としていた症状群です。人前で恥ずかしいと思うのも、人の感情の動かせない事実です。人前での恥ずかしい思いや緊張をあってはならないこととして否定・排除しようとすればするほど、いっそう自己の状態にとらわれて羞恥を募らせてしまいます。よって森田療法では、むしろ恥ずかしいと思う自分自身の本心になりきり、それを自覚することで、症状へのとらわれの悪循環から抜け出すことを治療の目標にします。

鑑別が必要な疾患として、うつ病性障害、広場恐怖症(広場恐怖)を伴うパニック症(パニック障害)、全般不安症(全般性不安障害)または特定の恐怖症などの不安症(不安障害)、自閉スペクトラム障害をベースにした社交不安症(社交不安障害)、回避性パーソナリティ障害、妄想性障害等が挙げられます。

【患者さんの声】 Aさん 20代 男性

○月○日、僕は森田療法センターに入院した。昔元気だった頃の自分に戻りたい、今の苦しい状況からなんとか抜け出したい、という気持ちで病院を探した結果、こちらの森田療法センターを見つけ入院を決意した。
お昼頃母と一緒に病院に着き、心理テスト等を済ませた後臥褥が始まった。一日目はあっという間に夜になり、消灯時間の23時頃には眠りにつけたのを覚えている。だが二日目、三日目になると、色々な事を不安に感じて、ここで退院まで生活できるのかと考えていたりした。六日目、七日目になると不安はありながらも、早く外に出たいという気持ちがすごく強くなっていった。最終日に浴びたお風呂は本当に気持ちよかった。
そしていよいよ臥褥が明け、軽作業期一日目がやってきた。朝食の時は臥褥が明けてハイになっていたのか、不思議と緊張しなかった。しかし、お昼頃になると周りが段々と見えてきて、緊張と不安が次第に押し寄せてきた。夜のミーティングで最初の挨拶を済ませ、一日はあっという間に過ぎていった。
三日目からは作業の見学は終わり、板の木彫りが始まった。いざ作業に入ると、一人で行う作業ということもあり、割と集中して行うことができた。希望も気からという意味を込めて、「気望」という字を彫った。軽作業期最終日には木彫りを終え、たたらや書道を楽しく行うことができた。
軽作業期を終えると、いよいよ作業期に突入した。最初は見習いという立場から始まり、共同、植物、動物それぞれ先輩達に教わりながら作業を行った。最初の頃は、トイレ掃除、お風呂掃除、鳩舎清掃等苦手な作業が多かったのを覚えている。何より教えてくださる方の顔色をうかがうばかりで、作業内容が中々頭に入ってこなかったり、自分が不快に思わせているのではないかと考えて、作業にあまり集中できなかったりした。その中でも、植物作業には楽しさを見出せそうな気がした。
見習い期間を終えると、次の日入る作業は自分で決め、当番も自分一人に任されるようになった。当番の犬の散歩が苦手で、コースを中々覚えられなかったため、先輩に付いて来てもらったりしていた。その頃は、デイルームにいるのが苦痛だったので、自分の部屋で本を読んで過ごした。
作業期に入り少し慣れていた頃に、植物係に任命された。植物係の先輩達が夜によく話し合いをしていたのは知っていたので、そこに上手く自分が溶け込んでいけるかとても不安だった。案の定自分の中ではコミュニケーションが上手く取れず、先輩達の行動や言動が一々気に触るようになってしまい、デイルームにいる時は常にイライラしてしまうようになっていた。
イラスト作業期に入り一ヶ月程経った頃、デイルームで消灯時間まで他の患者さんと話す機会があり、それがきっかけでデイルームにもう少しいてみようと思えるようになった。そして自分から先輩方とコミュニケーションを取るようになると、自然とイライラは収まっていった。
そんなこんなで過ごしていると、自分にも後輩患者ができ、今度は共同責任者を任された。もう一人の共同責任者の方が植物係の方だったので、上手くコミュニケーションを取りながら頑張っていたのだが、自分の体調管理が甘かったせいもありインフルエンザになってしまった。そこで一度森田の生活に対する集中が切れてしまい、すぐに外泊に出てリセットしようとしたのだが、最終日病院に戻るのが嫌になってしまい、一日戻る日を延期した。戻ってからはなんとか持ちこたえ、また森田の生活に専念することができた。
戻ってから少しした後に、行事委員を任された。その時共同責任者も請け負っていたので、最初はやり切れるか不安だったが、皆さんと力も借りて、なんとか最後までやりとげることができた。
行事を終えた後は後輩患者も増え、教えていく立場になり、最初はきちんと教えられるか不安だったりしたが、段々と教えることにも慣れ、どんどん生活が充実していった。
最初は不安でイライラすること等も多かったが、どんどん色々なことが楽しくなっていき、こちらに入院して良かったなと今では思えるようになった。
これからの生活に不安はもちろんあるが、ここで学んだことを活かし、全力で頑張っていきたい。
お世話になった先生方、看護師の皆さんならびに色々と支えて下さったたくさんの方々本当にありがとうございました。