みなさん、お元気ですか?私は最近、職場に傘を置いて帰ってしまい、翌朝ずぶ濡れになりながら出勤するという現象がよく起こります。
さて、そんな中…
森田の庭のブラックベリーが!
実ったぜ!やったー!
それではさっそく、もぎたてをいただきまーす!
…うわ、すっぱ!
そして、ちっとも甘くない!
今にも「食われてたまるか」という声が聞こえてきそうな、なんとも若々しくとんがった味です。
後で聞いたところによると、ブラックベリーという名前の通り、もう少しブラックになってからでないと酸味が強くとても食べられたもんじゃないそうです。いやー、まずかった…。
数週間後。
どうでしょうか。撮り方に難ありですが、だいぶいい感じにブラックになってきたのではないでしょうか。
夏休み明け、真っ黒に日焼けして、顔つきもどことなく大人っぽくなったような気がしなくもない子供たち、といった雰囲気です。みんな、宿題はもう終わったかい?
強くつまむとそれだけでつぶれてしまいそうな果実を、おそるおそる口に入れると。
あっ、甘い…!?
先日と同じ果実とは思えないほどの、みずみずしい甘さとスッキリとした酸味が口いっぱいに広がります。
若い頃やんちゃしていた人が、年をとると驚くほど柔和になっていたりする。食材も人柄も、歳月をかけて育ててやると奥深い味わいになる。時間というのはじつに不思議なものですね。
これは、さらに手間暇をかけてやれば、もっとおいしくなるのでは?
ということで、夏休み…ではないのですが、自由研究として、新しい料理に挑戦してみました。その名も「ドライブラックベリー入りスコーン」!
まずはドライブラックベリー作りです。料理に詳しいスタッフに協力を仰ぎ、インターネットでさまざまなレシピを参考にしながら製作しました。
電子レンジのオーブン機能を駆使し、設定温度200℃で加熱すること約40分。
チーン!
ほう、なんとも香ばしい香り。まるでやきいものようだ…。
ではさっそく味見を…。ふむ。表面はサクサク、中はしっとり。香ばしい苦味が口の中に…
…うん。焦げてますね。表面だけきれいに焦げました。
どうやら、短時間で作ろうと設定温度を高くしたのが敗因のようです。
うーん、残念。せっかくの自由研究だったのですが、開始早々、湿気た花火のように、焦げた匂いとモヤっとした気持ちだけ残して終わってしまうのでしょうか…。
…いえ、いえ!
失敗は成功のもとだったり…することもあったり、なかったり!
いずれにしても、涙を拭いて、再突入です!
残った数少ないベリーたちを、前回の教訓を踏まえ設定温度は120℃と低めに、時々中の様子をチェックしながら気長に加熱すること約1時間半。
チーン!
今度こそ焦がさずできました!そして、喜びのあまり写真は撮り忘れました!
それをネットに入れて乾燥させること数日。
まだかなー、まだかなー。
そろそろいいかなー。いいよねー?
誘惑に負けてコソコソとつまみ食いをしてみると、なんと、酸味がまろやかになっていて、甘味も濃縮されて、かなりいい感じです。なるほどこれがドライの実力…!
作ろうと思ってから何日もかかるから、そういった意味でも完成した時のうれしさはひとしおです。どれどれ、もう一つ…
と、いけません。まだ完成していませんでした。
続いて、スコーン作りです。これも料理に詳しいスタッフとネットのレシピを参考に製作しました。
ホットケーキミックスに、砂糖をささっ。
油をたらっ。
生クリームをとくとく注いで、こねて。
仕上げに、ドライブラックベリーをどーんっ!
生地をめん棒で伸ばしたら、熱きハートを込めて型を抜きます!
ラブ&ベアー!…焼きます!
ついに完成!ドライブラックベリー入りクッk…、スコーン!
いやぁ、このひらべったさ、どう見てもスコーンですね!そうとしか思えません!
製作過程がやけにはしょられているのも、細かい分量を忘れてしまったからではありません!
さあ、何はともあれ、食べましょう!
あ、食べてみると意外とスコーンだ。
外はサクサクでありながら、それでいて中はほろほろ。時々なんか固いものが歯の隙間に挟まるけど、甘さもほどよくて意外とイケる。
たっぷり入れたドライブラックベリーも、なんか固いのはブラックベリーの種的な感じがするけど、干されることで酸味がさらに柔らかくなっていて、ちょうどいいアクセントになっています。
全体として、なんだかひさびさに帰った田舎のおやつのような素朴な安心感があります。ああ、紅茶が飲みたい。…歯の間にがっちり挟まった種的なものを取るために。
はい。ということで、今回は、試行錯誤しながらの料理の模様をお届けしました。
なかなか自由に外に出られない状況が続く中、このように時間のかかる料理をお家の中でじっくりと楽しんでみる、というのもなかなかいいものかもしれません。おいしくできればいいですが、そうでなくても、自分の手でじっくり時間をかけて作ったという体験そのものが、明日を生きる底力になってくれる、そんな気がするのです。